どうも、カナジシキです。
今回は劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド再生産総集編の考察をやっていこうと思います。
今回は劇場公開から一週間(自身の視聴は2回)での考察にとなるため、妄想的な要素も多分に含みますがある、今回の劇場版の謎や伏線の考察についてある程度型になっていると思うので投稿させてもらいます。
(投稿日に朝から色紙のためもあり、4回連続で見ていますが書いているのは前日です。)
このため、今回のものは2回視聴時のでのものですが、今後は6回視聴後のものです。また、追記は青文字表記です。
すいません、7回視聴後に今回書いたことも含めて全て書き直すことにしました。なので、今回のこれはプロット版とします。
考察の流れは
ロンド・ロンド・ロンドとは何だったのか?
↓
「アニメ」スタァライトて何だったの?
↓
楽曲解釈からわかること
です。(ネタバレ防止のため本当のサブタイトルは濁しているので後に載せています。)
また、感想編(ネタバレあり)も考察に重要なことを載せているのでお読みください。
以下、劇場版だけでなくテレビアニメ版スタァライトおよび舞台版、スタリラ新章に至るまでのスタァライト全般の重大なネタバレを含みますので嫌な方はブラウザバックをお願いします。
目次
仮定
私は今回の再生産総集編に対する答えは
ロンド・ロンド・ロンドという作品はテレビアニメ版とは別のものであるという考えに至りました。
この答えの具体的なものとしては
テレビアニメ版のなながループを起こしひかりが聖翔に来てレヴューが起こり第100回聖翔祭を行うまでの一連の流れこそが真の意味での華恋とひかり(追記、正確にはななも含む)の運命の舞台であり
アニメラストでトップスタァとなった華恋の運命の舞台によりあの時間をまた繰り返し
もともとループを起こしたなながその罪としてこの繰り返しを観てきたというのが事実であり、
その最後の周回こそが私達の見たロンド・ロンド・ロンドだったのだ
ということです。
今回は最初にこの論の肝となるロンド・ロンド・ロンドという物語がアニメの流れが繰り返された物語であるという根拠を見ていきます。
このため、序文の編に関しては正確には
アニメと違う物語であり、ループである根拠編(ロンド・ロンド・ロンドとは何だったのか?)
↓
アニメの流れ自体が運命の舞台という根拠と何故ループしたのかや何故ななは記憶があるのかの考察編(「アニメ」スタァライトて何だったの?)
↓
OPがないことによる星のダイアローグの1番やラスサビ使われてい無いこと、Star DivineがStar Diamondになったこと、再生讃美曲の歌詞からの解釈、約束タワーの意義について(楽曲解釈からわかること)
の3編が本当の今回の考察のサブタイトルです。
大場ななの劇中の活躍
やはり、本作の謎を解き明かすために重要となるのはななの追加カットであるのは間違いありません。なので、追加カットを中心に大場ななの活躍より本作品におけるななのループ(アニメ版とは違う)の理由を見ていきます。
ななのひかりに対する発言より
第一にストーリー冒頭、神楽ひかりに対して「待っていたよひかりちゃん」と述べています。(追記、正確にはラストにわかること)これはななのループの最終周回であるテレビアニメ版ではななはひかりに対して誰なのか困惑しているため待っていることはあり得ません。
同様にななのひかりと華恋に対する反応ではRONDO2で華恋が舞台に飛び込んだことに対する同情をひかりに向けています。これもななは華恋とのレヴューにおいて、みんなを変えたのは華恋の方である事実に気がついているためそれ以上の事実である、そのことをあの時点で反応が起こせるのはおかしいのです。
演出より
次にRONDO3冒頭の追加カットシーンでは既に12話の蟹鍋時の写真や舞台装置があることがあげられます。
これは12話の鍋の写真が早い段階で存在するのがおかしいのは言わずもがなですが、加えて舞台装置に関しても少なくともまひるの舞台装置に関しては華恋とまひるがレヴューすることにより生じるのは確かるなのであり得ないわけです。
6話Cパートとの相違点
6話Cパートでななは今回の舞台がどうしてしまったのかについての言及をしています。また、このシーンのななはどこか楽しげでした。また、7話ラストでは神楽ひかりを再演取り込むことが楽しみなようにみえます。ですが、ロンド・ロンド・ロンドでは同様の表現である追加カットは存在せず、むしろどこか辛そうに見えるのも根拠となり得ましょう。
追加カットの時間軸
これまで、追加カットの時間軸について作中の順番であるという前提で話を進めてきました。しかし、そうでは無く7話の前にこのシーンがあった、もしくはロンド・ロンド・ロンドラストの追加カット前に全てこれが繋がると考えた人もいるはずです。
前者の時間がその場所なことはレヴューの順番がテレビアニメ版と違うことから否定できません。このため、舞台装置があのシーンにあってもおかしくは無くなります。しかし、先ほどの6話時点でのななの反応が合わないことからアニメと同等とすることができないのです。
そして、後者はなながひかりとレヴューを行う前にキリンから出番を促されていることからあり得ません。
アニメと同じ箇所について
基本的にはななは自身のループでも1年生の自分を演じていたわけですから今回のループも演じていると考えれば問題ないと思います。
ただ、ひかりへの忠告や華恋へのループからでないことへの進言は今後を知っているため強く意味を持ち
純那との会話での涙は毎回あの時点で励ましてくれることへの感謝ともとれます。
また、ひかりへの着信のシーンをカットしてまで、ひかりが居なくなった後のポストでの初めての寒さのシーンがあることも本作のななの立ち位置をぶれさせるためのミスリードであるということが言えます。
タイトルより
また、今回のタイトル「ロンド・ロンド・ロンド 再生産総集編」からもこのループが伺えます。
ロンド・ロンド・ロンドの意味について
スタァライトをある程度研究している人間にとってロンド・ロンド・ロンドといえば、もちろん劇伴の「ロンド・ロンド・ロンド」です。この曲はななのループのテーマであるためこのタイトルを聞くとそのことが思い浮かぶはずです。
しかし、これはミスリードでありやはり今回のロゴとなっている三つの円と一つの線より解釈した3つのロンドというのがキーワードとなるのです。
3つの円を時間で描くためには軸として1つ目とその後3つの同じ時間の違う出来事の計4つのストーリーが必要となります。
この4つとは
最初の軸はループする前の最初の時間であり、作品としてはオーバーチュアがこれにあたります。
次の第1の円はもちろんななのループがこれにあたります。
そして、第2の円がテレビアニメ、第3の円がロンド・ロンド・ロンドだったという解釈です。
これは本作のループの根拠となります。
(追記、明確には違うので次回書きます。)
再生産総集編
次に再生産総集編の意味についてですが、前回の感想編で言及したように明確に劇場版で再生産が総集編としてまとまっていたかいささか疑問です。しかし、これがループであると考えた場合アニメでの再生産は既に起きたものであり、既に再生産ではありません。
このため、再生産について総集した場合はレヴューと結果だけわかれば問題が無いのです。
また、こちらは楽曲編で詳しく行いますが、スタリラの新章と違い本来再生産の過程が重要であるはずのアニメスタァライトで「たどり着いた軌道までは照らす必要なんてない」という歌詞を含むStar Diamondを使用している理由もこれにあたります。
レヴュー曲の違い
そもそも、アニメスタァライトのレヴューでのレヴュー曲は基本的に戯曲スタァライトの楽曲を自分達のために歌詞と曲調をアレンジして使用しているという設定が存在します。
(幕間や追加日程の曲は扱いが微妙)
華恋が第1話でレヴューがスタァライトと理解した理由に星積みの塔と殺陣だけで無くこれがあるとされています。
また、戯曲スタァライトの持ち味に各時代でこの曲のアレンジが違うというのも特徴だという設定があります。
これは前回紹介させてもらった、代々木アニメーション学院での『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』アニメメイキングセミナーで中村彼方先生が言及していたので確かです。
このことを踏まえると今回のロンド・ロンド・ロンドでレヴュー曲のアレンジが違うということがその時点でアニメの物語とは違うという証拠になります。
キリンの存在
これまでの根拠だけでは解消されない矛盾があります。それはキリンの存在です。
キリンはななと違い演じる必要がないためレヴューの進行役という点を除けば本心、つまりは私達視聴者の代弁者です。
しかし、ラストの約束の舞台でキリンはアニメと同様に新しい続きが生じたことに歓喜しています。これは本当にループしておりそれを知っていれば、あり得ません。一度知った展開でもう一度心に染みるようなことはあれど展開に歓喜はしません。
では、どうしてこのような態度を示したのかというと、やっぱりキリンも視聴者なのです。これまでの新規カットも含め2年間待ったアニメの新作、そして続編へこの流れに対してキリンも歓喜したのだと解釈できます。
加えて、キリンの新規カットはななに対して大変退屈そうでどこかふざけた態度をアニメ以上にとっています。これは何度も同じものを観ることへの退屈さや2年間待たされたことを表しているのでしょう。
アニメのキリンはアニメのみ視聴者で#2とか2nd、3rdスタァライブ行か無かったんでしょう。もしくはスタリラガチ切れ勢。まあ、現地組でもアニメは嬉しいんですが。
まとめ
今回はロンド・ロンド・ロンドがアニメからもう一度ループしたものだという根拠をあげていきました。
次回は私が考えているこのループの理由がアニメスタァライトの一連の流れが運命の舞台だったからと
何故この流れに記憶のある状態でななは存在するのかについて詳しく解説していきます。