〈スタァライト考察〉少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド 再生産総集編 概要についての考察

スタァライト

どうも、カナジシキです。

今回は前回のプロット版に引き続きロンド・ロンド・ロンド 再生産総集編の考察です。

前回

本当は前回説明した順に考察を書こうと思っていたのですが、7回目視聴後に考えが変わった部分とわかりやすさを考慮してTVアニメ版についてと1、2をまとめて書くことにしました。

以下、劇場版だけでなくTVアニメ版スタァライトおよび舞台版、スタリラ新章に至るまでのスタァライト全般の重大なネタバレを含みますので嫌な方はブラウザバックをお願いします。

全体の流れ

私は今回の再生産総集編に対する答えは

ロンド・ロンド・ロンドという作品はテレビアニメ版とは別のものであるという考えに至りました。

これを詳しく見ると、今回のロンド・ロンド・ロンドをふまえてアニメ版スタァライトというものを

TV版の流れがななの運命の舞台であり

ロンド・ロンド・ロンドとは華恋の運命の舞台であると考えました。

時間の流れとしては出来事順と時間順でみると以下のようなものになると言うことです。

そして、タイトルであるロンド・ロンド・ロンドの3つのロンドは上図の②⑤二つのななのループと⑥の巻き戻りを指しているのだと考えています。

このため、今回はこの①〜⑦の時系列順に説明していきます。

(また、一応本作品そのものを指すときは再生産総集編、ストーリーを指すときはロンド・ロンド・ロンドと書いているのでそれを念頭に読むとわかりやすいと思います。加えて、本当は繰り返しのことをロンドと呼称したいのですが、同じワードが違う意味で使われるとわかりにくくなるのでループと呼んでいます。)

TV版について

まず、大前提としてアニメ版スタァライトという物語はオーバーチュアで描かれた1年生時の物語、続いて最初のレヴュー、そしてこれにななが勝利して99回聖翔祭の再演を何度か願い、ひかりが来るというところから物語が始まります。

この流れそのものに問題がある人間はいないと思うのですが、ここで疑問となるのはどうしてひかりがTVアニメ開始時にこの物語に加わったのかが重要な点となります。

このことに関してはTVアニメ放映当初から長らく議論されてきたことですが、今回私はこれに対してななの運命の舞台に従ってやってきた説を採用しました。

何故、この説が成り立つかというと7話にて、第99回聖翔祭を繰り返すななは、何度繰り返しても、最初の聖翔祭の眩しい舞台にたどり着くことができないことに対してキリンの「誰も予測のつかない舞台」に呼応したからだと考えられます。

この根拠としてこのシーンではキリンの発言の後、ななはその言葉に反応し、その後、カリキュラスブライトが刺さるという描写が根拠となります。

そして、TVアニメ周回のななにとっての運命の舞台は第99回聖翔祭ではなく

眩しい舞台に辿り着くこと→誰も予測のつかない舞台

となり、つまりはアニメの流れそのものがななの運命の舞台だったのだとわかります。

これが最初の図でいうところの①〜③の流れになります。

ReLIVEという物語

次に④のスタリラという物語がきます。

これについてはこれまで自分自身の説として

がありましたが、この説は本説の中では、華恋の運命の舞台は戯曲スタァライトのキラめきが足りないと行えないからとすれば問題は無いのですが、正直だいぶ無理があります。

ただ、ロンド・ロンド・ロンドの真矢・クロディーヌvsひかり・華恋ではStar Diamondが使われており、この曲はスタリラを原典とした3rdスタァライブの曲なので、この時点でスタリラの物語が存在しなければならないので、とりあえずこの形にしておきます。

(正直納得いかないけど、もうスタリラ考察はしたくない)

運命の舞台という必須行動

先ほどまで考察したとおり、TVアニメの流れとはななの運命の舞台であり、その中でさらにひかりと華恋もトップスタァとなっています。

ここでスタァライトでのレヴューで生じたトップスタァは運命の舞台をやらなければならないということが考えられます。

これはスタリラを含めれば新章より求まり、詳しくは以下の考察で説明したことが適用できます。

また、スタリラに関してを抜きにした場合でもひかりが華恋のキラめきを奪いたくないのであればあのような形では無く、単に運命の舞台をしなければ良いだけなので、それをしない(出来ないことから)運命の舞台はトップスタァになった場合しなければならないのだとわかります。

また、戯曲スタァライトより

塔に登ること=トップスタァを目指すこと(レヴュー)であり、

星を掴んだ場合(星摘みをした場合)=トップスタァとなった時

星積みは罪の許し=運命の舞台

と考えられるので運命の舞台とは必須事項だったのだとわかります。

トップスタァと運命の舞台

ここでトップスタァと運命の舞台ということを考えると

なな→TVアニメの流れであり、ひかり→TVアニメ12話である、とわかりますが、の運命の舞台が存在しません。

正直な話しここまでの流れはTV版終了当初から説の一つとしては自分の中にはありました。

しかし、これは普通に第100回聖翔祭だと思っていたので、競合するTVアニメ版はななの運命の舞台であるという説、そのものが考えにくい説として棄却していました。

ただ、今回は華恋の運命の舞台が重要であると私は考えており、これがロンド・ロンド・ロンドの物語と深い関係性を示すため、改めて採用しています。

ここで華恋の運命の舞台について説明していきたいのですが、これはロンド・ロンド・ロンドがどのような物語だったのかを見たのちに再度合わせて確認した方がわかりやすいので、ここからはロンド・ロンド・ロンドについて先に見ていきます。

また、ここからの部分の前半が前回のプロット版に近いものとなります。

TVアニメ版と再生産総集編が別物(ループ)である根拠について

そもそも、⑥についてはTVアニメ版と再生産総集編が別物である根拠について書かなければ納得できないと思います。

大場ななの劇中の活躍

最初にTVアニメ版と再生産総集編が違うという根拠を追加カットを中心に大場ななの活躍より見ていきます。

(以下の文では、作中で入る「RONDO RONDO RONDO 数字」を章であると仮定して「RONDO 数字」で描写を表しています。)

ななのひかりに対する発言より

第一にストーリー冒頭、神楽ひかりに対して「待っていたよ(ひかりちゃん)」と述べています。これは有り得ないことで、ななのループの最終周回であるTVアニメ版ではななはひかりに対して誰なのか困惑しているため待っていることはあり得ません。

同様にRONDO2でななのひかりと華恋に対する反応では華恋が舞台に飛び込んだことに対する同情をひかりに向けています。これもななは華恋とのレヴューにおいて変えたのは華恋の方である事実に気がついているためあの時点でそう反応が起こせるのはおかしいのです。

演出より

次にRONDO3の追加カットシーンでは既に12話の蟹鍋の写真や舞台装置があることがあげられます。

これは12話の鍋の写真が早い段階で存在するのがおかしいのは言わずもがなですが、加えて舞台装置に関しても少なくともまひるの舞台装置に関しては華恋とまひるがレヴューすることにより生じるのは確かなのであり得ないわけです。

6話Cパートとの相違点

6話Cパートでななは今回の舞台がどうしてしまったのかについての言及をしています。また、このシーンのななはどこか楽しげでした。本来同様の表現であるはずの追加カットには存在せず、むしろどこか辛そうに見えるのも根拠となり得ましょう。

追加カットの時間軸

これまで、追加カットの時間軸について作中の順番であるという前提で話を進めてきましたが、そうでは無く7話の前にこのシーンがあった、もしくはロンド・ロンド・ロンドラストの追加カット前に全てこれが繋がると考えた人もいるはずです。

前者の時間がその場所なことはレヴューの順番がアニメと違うことから否定できません。しかし、先ほどの6話時点でのななの反応が合わないことからアニメと同等とすることができないのです。

そして、後者はRONDO4でなながひかりとレヴューを行う前に追加カットとしてキリンから出番を促されていることからあり得ません。

アニメと同じ箇所について

基本的にはななは自身のループでも1年生の自分を演じていたわけですから今回のループも演じていると考えれば問題ないと思います。

ただ、ひかりへの忠告や華恋へのループからでないことへの進言は今後を知っているため強く意味を持ち

純那との会話での涙は毎回あの時点で励ましてくれることへの感謝ともとれます。

また、ひかりへの着信のシーンをカットしてまで、ひかりが居なくなった後のポストでの初めての寒さのシーンがあることも本作のななの立ち位置をぶれさせるためのミスリードであるということが言えます。

レヴュー曲の違い

次に、そもそも、アニメスタァライトでのレヴュー曲は基本的に戯曲スタァライトの楽曲を自分達のために歌詞と曲調をアレンジして使用しているという設定が存在します。

(幕間や追加日程の曲は扱いが微妙)

華恋が第1話でレヴューがスタァライトと理解した理由に星積みの塔と殺陣だけなで無くこれがあるとされています。

また、戯曲スタァライトの持ち味に各時代でこの曲のアレンジが違うというのも特徴だという設定があります。

これはネタバレあり感想でも紹介させてもらった、代々木アニメーション学院での『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』アニメメイキングセミナーで中村彼方先生が言及していたので確かです。

このことを踏まえると今回のロンド・ロンド・ロンドでレヴュー曲にアレンジが違うということがその時点でアニメ物語とは違うという証拠になります。

キリンの存在

さらに、少し蛇足にはなりますが、これまでの根拠だけでは解消されない矛盾があります。それはキリンの存在です。

キリンはななと違い演じる必要がないためレヴューの進行役という点を除けば本心、つまりは私達視聴者の代弁者です。

しかし、ラストの約束の舞台でキリンはアニメと同様に新しい続きが生じたことに歓喜しています。これは本当にループしておりそれを知っていれば、あり得ません。一度知った展開でもう一度心に染みるようなことはあれど展開に歓喜はしません。

では、どうしてこのような態度を示したのかというと、やっぱりキリンも視聴者なのです。これまでの新規カットも含め2年間待ったアニメの新作、そして続編へこの流れに対してキリンも歓喜したのだと解釈できます。

加えて、キリンの新規カットはななに対して大変退屈そうでどこかふざけた態度をアニメ以上にとっています。これは何度も同じものを観ることへの退屈さや2年間待たされたことを表しているのでしょう。

(アニメのキリンは基本アニメのみ視聴者で#2とか2nd、3rdスタァライブ無かったんでしょう。もしくはスタリラガチ切れ勢。まあ、現地組でもアニメは嬉しいんですが。)

ななのループも二度目であるということ

ここまで、考察してきたことは⑥の事項であり、⑤のななのループも二度目であるということの証明にはなりません。ではどうして、ななのループも二度目であるかの根拠を見ると

RONDO4の1回目とTVアニメ版の7話は明らかに違うからです。

RONDO4ではななが第99回聖翔祭を繰り返すことを決意したシーンとして倒れた星積みの塔を純那と見るシーンが使われています。しかし、このシーンは本来9話でひかりに倒されたななが、そこまでの7人の変化も、加えて華恋を倒し再演を決意するシーンです。

もちろん、この星積みの塔を二人で見るという行為が一回目には無かったとは言い切れません。

しかし、RONDO4と同様の意味合いをなすシーンとして7話で2年の始業式の日に辞めた同級生が二人がおり、純那がロッカーの名札を外すシーンがあるため、そちらを使えば良いはずです。

このため、何故か本来ならば後にあるシーンを使っており、また、同様の意味合いのシーンがあるのにもかかわらず使っていないことから、ななのループも再び行っているとわかります。

ただ、ここで注意して欲しいのはなながキリンとの会話中でひかりについて知らないことから二度目のななのループでもアニメ時の記憶はなく、しかし、先ほど説明したとおり追加カットでは明らかに記憶があり、RONDO4冒頭で出番を促されていることから本編と追加カットも同じ軸の話しであるということから矛盾が生じているということです。

華恋の運命の舞台

ここまで、再生産総集編での追加カットを中心に再生産総集編とTVアニメ版が違うということに加え、それはななのループに至るまでそうだと説明してきました。このため、最初に示した図は成り立つはわけです。

しかし、これは事実を列挙しているだけであり、この再生産総集編という代物が何だったのかに対する考察にはなりません。

そこで先ほどの矛盾に対する答えも含めて、全ての答えが華恋の運命の舞台に行き着くのです。

華恋の運命の舞台とは何なのか?

では、そもそも華恋の運命の舞台とは何だったのか、という疑問が生まれます。

これはTVアニメ版の一連の流れで生まれた戯曲スタァライトを指すことは明白です。

つまり、流れを示すと

フローラ(華恋)と記憶(キラめき)を無くしたクレール(ひかり)が再び出会う

女神と出会いいさかい時に結ばれる(アニメの日常とレヴュー両方)

塔の頂上に辿り着く(レヴューの勝者となる)


しかし、フローラは塔から落ち二人は永遠に会えなくなる

ここまでが本来の戯曲スタァライトです。

ここで、本当はクレールが塔に囚われていた。

という設定がひかりのもつ戯曲スタァライトにより加わり、これがひかりの運命の舞台です。

その後、フローラはクレールが塔に幽閉されていたことに気がつく

フローラは再び塔を登り全ての女神を塔から解放する。[激昂を情熱(純那)、呪縛を信仰(双葉)、逃避を勇気(香子)、嫉妬を愛情(まひる)、絶望を希望(クロディーヌ)、傲慢を誇り(真矢)に戻す。](正確には配役はわからない)

その全てを見ていた塔の管理者[なな(とキリン)]に真実に辿りついたことを認められる。

フローラとクレールは再び出会う

この過程が華恋が続きを作った戯曲スタァライトの流れであり、華恋の運命の舞台です。

また、これを第100回聖翔祭で行うことが、先程考察したななの運命の舞台です。

ただ、華恋はループを起こしていたころのななのようにもう一度同じ舞台をやることは望みません。なので「TVアニメ版の流れをもう一度やること」は望まないため、それ自体は運命の舞台ではありません。

このため、自分もアニメ放映当初は華恋の運命の舞台はななと同様に自分自身も第100回聖翔祭そのものが運命の舞台なのだと考えていました。

全ての女神を救うということ

では、この流れにおいて何が華恋の運命の舞台にとって満たされていないかといえば、「全ての女神を解放する」がなされていないのです。

もちろん、それだけを聞けばこれはおかしいです。何故ならTVアニメの一連の流れで解放れているのは明確だからです。また、本当に7人の物語が完結したのはそれぞれの担当回ではなく11話で華恋を送り出した時点なので、このクレールが塔に幽閉されていることに気づき、その後に塔から解放されたというタイミングが合致しないということもありません。

ただ、ここでフローラが救わなければならない女神は「全て」でなければなりません。

しかし、まだ救われていない女神がいます。それはなながループ時に倒しキラめきを奪った7人です。

このうち、フローラ(華恋)を除く6人を救うための過程が⑥で示したループであり

さらに、無かったことにしたループは「選ばなかった過去」と言えるのです。

選ばなかった過去達へ静かに捧ぐ讃美歌

この過程を6回繰り返すことだったというわけです。

つまり、私達が見た再生産総集編とはこの⑥のループの6回目だったわけです。

また、ロンド・ロンド・ロンド最後での死せる舞台少女に関してもこれに起因します。

再生産総集編の意味について

加えて、再生産総集編の意味についても、前回の感想編で言及したように明確に劇場版で再生産が総集編としてまとまっていたかは疑問です。しかし、これがこの論に沿った⑥であると考えた場合、既に起きたことなのでレヴューという重要なイベントだけ通過すれば過程は無くとも救うためには問題ないわけです。

例えるのであれば、ギャルゲーの周回プレイ時に強くてニューゲームしていれば、必須イベントはあれど好感度上げのためのイベントは必要ないて話です。

華恋を救うこと

もちろん、ななのループを起こすためには、華恋も6人同様にキラめきを奪われています。

そして、フローラ自身も自身を救わなければ塔の頂上にたどり着けないため、華恋も救わなければなりません。

しかし、今のままでは華恋が華恋自身を救うことは出来ません。このため、華恋は自身の舞台を見つけなければなりません。これが特報の意味するところです。

また、幕間に入るRONDOとは、実は幕の数では無くななが数えていた⑥の周回の数だと考えた場合、最後がRONDO7であるのは大場ななと7をかけた言葉遊びでは無く、新作が華恋を救うための7回目の繰り返しであるからだとうなずけるはずです。

7つのストーリーライン

さらに言えば最初の図が①〜⑦であるのは、決して私が狙って行ったのでは無く、ストーリーとして違いのあるものを論ったら、たまたま7種類であっただけです。ある意味で6周行ったロンドが⑥であることやその7度目となる新作が⑦であることも意図されていたのかもしれません。

大場ななの役割

正直、次回作についての考察も終わり、ここでやめてしまいたいのですが、本作ロンド・ロンド・ロンドの考察に関するメインディッシュ追加カットに関する考察が何も終わっていません。

そう、先程保留した⑤のななのループ2時に記憶の無いななとロンド・ロンド・ロンドの追加カットで記憶のあるななについてです。

ここで華恋の運命の舞台でのななの役割を確認すると

ひかりを運命の舞台に引き込むこと(フローラとクレールを再び引き合わせること)と

全てを見守ること

の二つが存在します。

しかし、この二つは前者が「純粋に第99回聖翔祭に惹かれて、繰り返したのちに、誰も予測出来ない舞台に惹かれる。」という過程が必要であるのに対して、後者は全てを覚えていなければならず二律背反してしまいます。

このため、この二つの条件を満たすために⑤の過程ではななに記憶は無く、ひかりと出会うことをトリガーに全てを思い出したのだと考えられます。

これはロンド・ロンド・ロンド終盤のななとひかりに何らかしらの関係があるという表現だけで無く、大画面でななを表すカエルを傾ける演出を加えて、さらに本来は8話Aパートの部位を4話ベースとなっているRONDO2に移すことで、RONDO4を7話以上にななとひかりを強調したものとしていることから証明されます。

ワイドスクリーンバロック

最後にこの説の最大の根拠としてあげたいことは、キリンのワイドスクリーンバロックという言葉をあげたいと思います。

このセリフの節は本作に対して言っているのでは無く新作を刺した言い方となっています。逆に言えばこれまでのスタァライトはワイドスクリーンバロック様式では無いのだと言えます。

このため、ロンド・ロンド・ロンドの考察は複雑怪奇なものを読み解いてはいけず、壮大な世界観を作り出しても行けません。

私の考察ではスタァライト解釈でよく言われる、聖書からの引用という壮大な世界観や描かれたデザインの演出からの解釈という複雑怪奇なものは一切行わず、一見難しく感じるかもしれませんが、実際は表現描写の解釈を発表された作品や作中で出た順番に一直線に並べただけの考察です。

内容で言えば、ななの運命の舞台と華恋の運命の舞台を読取り、その上に仮説を置き、その根拠を作中の解釈から得ただけです。

時間軸に関しても、作中で表されたループは含んでいますが、発表された、TVアニメ版→スタリラ→再生産総集編→新作の順に並べただけです。

よって、壮大な世界観も無く、複雑怪奇でも無い考察です。

このため、ワイドスクリーンバロック様式に対する考察にはなっていません。

これが本説を裏付けるもっともの理由です。

もちろん、新作ではそういった考察を踏まえて、考察しなければならなくなるで、今のうちに行うということは悪くは無いのですが、本作には適用できないということです。

あとがき

以上がロンド・ロンド・ロンド 再生産総集編の考察となります。

いつもであればここでまとめを書くのですが、今回はとても長くまとめも尋常な量で無くなってしまいますし、最初の図が全てかなと思うので省略します。

また、みなさん自身の考察の手助けとなるとも思うので、次回もあるのですが先にあとがきを書きます。

今回この考察は「TVアニメ版と本作は地続きである」「3つの違うループ(ロンド)が既に作中にある」「再生讃美曲は本作の主題歌である」

という、3つが当てはまる考察として書かせてもらいました。

このため、この3要件を除けばいくらでも他の解答は他に出せると思います。

また、そちらの方が正解に近く私の説は所詮は妄想なのだという意識はあります。

何故なら、1つ目の要件を満たさずとも総集編を次回作に続く作りとして制作し直すのはよくあることです。TVアニメ版は綺麗に終わったのですから。また、再生産総集編の意味にもその方が合致しますし。

2つ目の要件を満たさずともロンド・ロンド・ロンドはななのループを刺すので問題ないです。よって追加カットからななが思い出している物語とかにすれば良いだけです。また、3つの円のロゴに関する理解も新作を踏まえれば良いからです。

3つ目の要件も新作を踏まえて理解できれば問題ありません

このため、この3つの要件はどれも本作品の考察として必要なことではありません。

しかし、私は嫌なのです。

新しいメディアミックスが前のものと物語として、関わりがないことが

タイトルやテーマ曲が本作に起因せず、新作に起因することが

多分、スタリラの方の考察やプリコネの方の考察、バンドリの雑論を読んでもらえればわかると思います。ただ、それだけです。

それでも、自分の考察という妄想の読替えで全てが繋がるのならそれで良いと思っています。

これまで長文にお付き合いありがとうございました。

次回

次回は前回の予告通り、OPがないことによる星のダイアローグの1番やラスサビが使われてい無いこと、Star DivineがStar Diamondになったこと、再生讃美曲の歌詞からの解釈やmovie verに2番が無いこと、約束タワーの意義についてから、本説の裏付けを解釈していきます。

正直、蛇足ですが良かったら次回もよろしくお願いします。

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