どうも、カナジシキです。
今回は
・本作の時間の概念とは
の二つ目
本作の時間の概念
ついて考えていきます。
以下、D.C.4とD.C.シリーズ全体の重大なネタバレを含みますので嫌な方はブラウザバックをお願いします。
目次
何故、時間の概念を調べる必要があるのか?
D.C.4では、時遡の魔法や常坂元の行ったこと、そして、カガミの国の存在により時間というものの設定が作品としてなされているのですが、解釈が曖昧になっています。
しかし、前回の正史についてや、これから考察する事柄についても、確実に時間が関わってくるため、きちんと定義付けして考えねば正確な理解は進まないのです。このため、時間の概念を探ることは重要となります。
「時」と「過去と未来」
D.C.4では概念的には未来や過去というものに意味が無いとされています。また、常坂元の語る魔法についても、人そのものの持つ思いという力により、それらが超越されると解釈できます。
しかし、D.C.という物語は「時」が意味を持つとD.C.シナリオでは語られています。
このことから時間という概念をみたとき「過去と未来」は無いが「時」は意味をもつという、一見矛盾した見解が生まれてしまいます。
では、どうすれば矛盾がないようにこれをみれるのでしょうか。
メタ的な視点より
ここでの時間とは、メタ的な視点から
セーブとロード
ゲームのクリア実績
新作発売
なのだと思います。
これらは全て時間を表すものであり、セーブとロードが時間を前後する作業なのは言うまでもありません。また、本作ではクリア実績により全ルート解放後、有里咲ルートへと進むことができるため順番という時間が生じています。加えて、新作が発売されれば、そこで起こるエピソードは違う時間のものです。
セーブとロード
このメタ的な視点よりプレイヤーから見た世界は
ゲーム中の物語はセーブとロードにより時間を超えられるため、過去と未来はありません。そのために、ルートそれぞれの可能性はパラレルに存在します。
ただし、これはプレイヤーがプレイを行った部分だけに適用されます。このため、プレイしていない部分でのセーブは行えません。
つまり、このプレイするという行為によりエピソードやルートが発生する過程が新たな事実を生むため「時」になります。
また、前回の考察での言い方にすれば、これが因果です。
ゲームクリア実績
ゲームのクリア実績も全ルートのクリアにより有里咲ルートが、有里咲ルートクリアにより有里栖ルートが準じて生まれていく過程も変化の使用がない事実であるため、事実を生む過程である時となります。
新作より
加えて、前回考察をした正史という可能性の終着点がナンバリング作品が出るということにより確定することや、各キャラルート毎に地続きのファンディスクが出ることも変化しようのない事実が生まれることになるため「時」といえます。
ただし、これらのメタフィクションは基本的にゲーム世界の住人が全てを観測できないということは注意しなければなりません。
このため、これを知覚できたのは魔法使いだけだったのです。
まとめ
これらをまとめると以下のような図になります。
つまり、物理的な軸で見た場合セーブやロードがあるため、それは意味をなさないのです。
しかし、概念的な時間中にあるゲームのクリア実績という確定的な時を経過することにより、可能性が生まれます。
これは、前回考察したことがらも(因果が置かれたことや有里咲ルートの後に有里栖ルートが生まれる理由)これに付随します。
また、生まれたものを含む様々な可能性は新作の発売により、絞られることや広がることがあり、それら全ての可能性の発生への過程が時であるのだと言えます。
つまり、
過去や未来=物理的時間であり、セーブとロードによる流れに意味のない時間
時=概念的時間であり、実績や新作により可能性が生じていく流れの時間
となるわけです。
前回との繋がり
では、作品そのもので具体的に見た場合はどうなるのかというと、前回の正史についてと合わせて考えると、下図のようになります。
また、前回示した図と照らし合わせると
因果というものが概念的な時間に作用すること
時遡の魔法が物理的な時間に作用していることがわかります。
次回、過去作との繋がりに続きます。
(多分、1回で終わらないと思う)
前回
次回